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東京高等裁判所 平成8年(行ケ)14号 判決 1997年8月26日

埼玉県幸手市大字上宇和田521番地18

原告

ミサト株式会社

同代表者代表取締役

清川晋

同代理人弁理士

鈴木俊一郎

牧村浩次

同弁護士

板東司朗

板東規子

大阪府大阪市中央区北浜4丁目5番33号

被告

住友化学工業株式会社

同代表者代表取締役

香西昭夫

同訴訟代理人弁理士

辻邦夫

辻良子

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告ら

「特許庁が平成7年審判第1727号事件について平成7年12月7日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

被告は、発明の名称を「蓄熱材の製造方法」とする特許第1863414号発明(昭和59年6月8日出願、平成5年11月4日出願公告、平成6年8月8日設定登録。以下「本件特許」といい、その発明を「本件発明」という。)の特許権者である。

原告は、平成7年1月19日、本件特許を無効とすることについて審判を請求をし、特許庁は、この請求を同年審判第1727号事件として審理した結果、同年12月7日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同月25日、原告に送達された。

2  本件発明の要旨

過冷却防止剤、無水硫酸ナトリウム、水および硫酸カルシウム2水塩を一括混合し攪拌することにより粘稠な組成物を得る工程を有することを特徴とする蓄熱材の製造方法。

3  審決の理由の要点

(1)  本件発明の要旨は、前項記載のとおりである。

(2)  理由(1)について

<1> 請求人(原告)は、まず、平成5年5月28日付けでなされた手続補正書(以下、それによる補正を「本件補正」という。)は、原明細書(本訴における甲第7号証。以下、他の書証についても本訴における書証番号で表示する。)の特許請求の範囲である「硫酸ナトリウム10水塩を主材とし、過冷却剤、固液分離防止剤からなる蓄熱材組成物において、固液分離防止剤として硫酸カルシウム2水塩を3~15重量%(該蓄熱材組成物中)添加することを特徴とする蓄熱材」を、「過冷却防止剤、無水硫酸ナトリウム、水および硫酸カルシウム2水塩を一括混合し攪拌することにより粘稠な組成物を得る工程を有することを特徴とする蓄熱材の製造方法。」と補正し、物の発明である「蓄熱材」を、物の製造方法である「蓄熱材の製造方法」に変更するものであるが、本件補正の「一括混合し攪拌する」という要件は、原明細書に何ら記載されていない事項であるから、本件補正は原明細書の要旨を変更するものであり、出願日が繰り下がるところ、本件発明は甲第7号証の記載内容に基づき当業者が容易に発明することができたものであって、進歩性を欠き、無効とされるべきである旨主張する。

<2>(a) しかしながら、原明細書に、本件発明は、Na2SO4・10H2Oを主材とする蓄熱材に固液分離防止剤として硫酸カルシウム2水塩を添加することにより安定性が著しく改善されることを見いだし、本件発明を完成するに至ったものであること、Na2SO4-H2O系の混合物のような水中における硫酸カルシウム2水塩の複塩の生成反応は硫酸カルシウムの溶解→反応→複塩の析出という過程を経るために反応完結までに時間を要するので、Na2SO4-H2O系に硫酸カルシウム2水塩を添加後スラリーの粘度が上昇するまで攪拌・混合を継続する必要がある旨記載されている(甲第7号証2頁左下欄2行ないし右下欄12行)。

(b) そして、原明細書の実施例1ないし4には、無水硫酸ナトリウム、水、過冷却防止剤(ホウ砂)、硫酸カルシウム2水塩(及びその他の添加剤)の混合物を、一まとめにして(すなわち一括して)攪拌し(攪拌している以上、一括混合攪拌されていることは明らかである)粘稠な組成物を得た旨記載されている。

(c) したがって、本件発明において、各成分を「一括混合して」攪拌するという事項を特許請求の範囲に挿入した本件補正は、原明細書の要旨を変更するものであるという請求人の主張は採用できない。

<3> よって、本件補正は原明細書の要旨を変更するものであることを前提として本件特許は無効とされるべきであるとする請求人の主張は、その前提において誤っているものであるから、理由がない。

(3)  理由(2)について

<1> 請求人は、原明細書の特許請求の範囲に、(ⅰ)「硫酸ナトリウム10水塩を主材とし、過冷却防止剤、固液分離防止剤からなる蓄熱材組成物において、固液分離防止剤として硫酸カルシウム2水塩を3~15重量%(該蓄熱材組成物中)添加することを特徴とする蓄熱材」が記載され、また、(ⅱ)原明細書(甲第7号証3頁左上欄15行ないし右上欄4行)には、「固液分離防止剤として使用される硫酸カルシウム2水塩としては、合成石膏、副生石膏などが使用される。添加量は蓄熱材組成物中3~15重量%好ましくは4~7重量%で、この範囲以下の添加量では少量すぎてマトリックスの形成が不十分であり、分離防止効果が低く好ましくない。この範囲以上ではマトリックスの形成の点では問題ないが、Na2SO4の濃度が減少するため蓄熱量が低下するので好ましくない。」と記載され、さらに(ⅲ)原明細書(甲第7号証4頁右上欄15行ないし同左下欄)には、硫酸カルシウム2水塩の添加量が蓄熱材組成物中1.0重量%である蓄熱材が比較例1として示され、その効果は他の実施例に比し優れるものでない旨が第1表に示されていることからみて、硫酸カルシウム2水塩の量が3~15重量%であることは、発明の構成に欠くことのできない事項といわなければならないところ、特許請求の範囲には該事項は何ら記載されておらず、明細書の記載が不備である旨主張する。

<2>(a) しかしながら、本件発明は、Na2SO4・10H2Oを主材とする蓄熱材に固液分離防止剤として硫酸カルシウム2水塩を添加することにより安定性が著しく改善されることを見いだしたこと、および複塩析出反応が完結するまで時間を要するのでNa2SO4-H2O系に硫酸カルシウム2水塩を添加後スラリーの粘度が上昇するまで攪拌・混合を継続する必要があることを見いだしたことに基づいての発明である旨の原明細書の記載(甲第7号証2頁左下欄2行ないし右下欄12行)並びに「各実施例」の記載に基づいて、

「過冷却防止材、無水硫酸ナトリウム、水および硫酸カルシウム2水塩を一括混合し攪拌することにより粘稠な組成物を得る工程を有することを特徴とする蓄熱材の製造方法。」

と補正され、特許されたものであって、このような製造方法の発明に補正する場合、使用する硫酸カルシウム2水塩の濃度まで特許請求の範囲において規定する必要はないというべきである。

(b) もっとも、硫酸カルシウム2水塩の量が3重量%より少ないときに所期の効果が得られないことが技術的にみて当業者に明白であるならばあるいはその範囲を除外すべく規定しなければならない場合もあり得ようが、本件発明の場合原明細書(甲第7号証2頁右下欄12行ないし3頁左上欄2行)に、

「未反応の硫酸カルシウムの沈降を防止するために増粘剤を添加することは望ましいことである。特に望ましい増粘剤としてはシリカ系の増粘剤をあげることができ、これには無定形シリカ微粉末を添加するか、又はケイ酸ナトリウムと硫酸とを混合することによって系内で重合ケイ酸を生成させるかの方法がある。いずれもNa2SO4-H2O系の粘度を上昇させ、未反応の硫酸カルシウムの沈降を防止する効果があり、更にそれ自身も固液分離防止剤としての効果があるので安定性が一層向上される。」

と記載されている。

(c) かつ、被請求人(被告)提出に係る甲第4号証の、住友化学株式会社筑波研究所才田健二の「蓄熱材製造実験結果報告書」によれば、硫酸カルシウム2水塩の添加量が1.0重量%であっても増粘剤が存在すれば所期の効果が達成される場合があることが認められる。

(d) そうしてみると、上記請求人の主張は採用の限りではない。

(4)  理由(3)について

<1> 請求人は、本件明細書の特許請求の範囲は、「過冷却防止剤、無水硫酸ナトリウム、水および硫酸カルシウム2水塩を一括混合し攪拌することにより粘稠な組成物を得る工程を有することを特徴とする蓄熱材の製造方法」となっているが、各成分を「一括混合し攪拌する」ことは、本件明細書の発明の詳細な説明項には全く記載されておらず、本件明細書の記載が不備である旨主張する。

<2>(a) しかしながら、本件明細書(甲第3号証)の実施例1には、無水硫酸ナトリウム300.0重量部他原料各成分とその配合部数が記載され、続いて「上記混合物を35℃で60分攪拌後粘稠な組成物を得た。このものを1日放置後40℃〓10℃の温度サイクルを48回行ったが浮水の発生もなくまた無水硫酸ナトリウムの沈降もみられなかった。」と記載されている。(なお、実施例2ないし4も同様に記載されている。)

すなわち、実施例には、原料の混合物をあらかじめ準備しておき、次いで、該混合物を所定の温度で、引き続き混合し攪拌することにより粘稠な組成物を得ることが明記されている。

(b) ここで、原料の混合物とは、本件発明の構成要素である成分を含むものであるから、これらの成分が一まとめにされた混合物を、さらに混合し攪拌することにより粘稠な組成物を得ることが記載されているにほかならず、したがって、本件発明の構成要素である各成分を「一括混合し攪拌することにより粘稠な組成物を得る工程」が本件明細書に記載されていることは明らかである。

(c) そうしてみると、上記請求人の主張は理由がない。

(5)  以上のとおりであるから、請求人の主張及び証拠方法によっては、本件特許を無効とすることができない。

4  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点(1)は認める。

同(2)のうち、<1>、<2>(a)は認め、<2>(b)、(c)、<3>は争う。

同(3)のうち、<1>は認め、<2>は争う。

同(4)のうち、<1>は認め、<2>は争う。

同(5)は争う。

審決は、特許法36条4項(昭和62年法律第27号による改正前のもの。以下、同じ。)違反の点についての判断を誤り(取消事由1)、要旨変更についての判断を誤ったため進歩性の判断を誤り(取消事由2)、特許法36条3項(昭和62年法律第27号による改正前のもの。以下、同じ。)違反の点についての判断を誤ったものであるから(取消事由3)、違法として取り消されるべきである。

(1)  取消事由1(特許法36条4項違反の点についての判断を誤り)

審決は、理由(2)について、「このような製造方法の発明に補正する場合、使用する硫酸カルシウム2水塩の濃度まで特許請求の範囲において規定する必要はないというべきである」と判断するが、誤りである。

<1> 特許法3.6条4項は、特許請求の範囲には発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載しなければならない旨規定しているが、この「発明の構成に欠くことのできない事項」とは、出願時の技術水準からみて、当該発明が解決しようとする目的を達成するとともに、当該発明によって生ずる特有の効果を奏するために必要とされる最小限の構成であると解すべきである。

本件発明は、固液分離防止剤として硫酸カルシウム2水塩を蓄熱材中に添加することにより、固液分離防止を達成するものであるが、このような固液分離防止効果を達成するためには、固液分離防止剤としての硫酸カルシウム2水塩の添加量はどのようなものであってもよいということではなく、必然的にその量は限られてくるのである。本件明細書には、硫酸カルシウム2水塩の添加量について、「蓄熱材組成物中3~15重量%好ましくは4~7重量%で、この範囲以下の添加量では少量すぎてマトリックスの形成が不十分であり、分離防止効果が低く好ましくない。」(甲第3号証4欄28行ないし31行)、比較例1には、硫酸カルシウム2水塩の添加量が1.0重量%である場合には、温度サイクル前に既に5vol%の浮水(固液分離の結果生ずる)が認められ、温度サイクル後には20vol%の浮水が認められると記載され(同6欄36行ないし4頁)、固液分離防止剤としての硫酸カルシウム2水塩の添加量が蓄熱材組成物中少なくとも3重量%以上でなければ、本件発明に特有の固液分離防止効果が達せられないことが明確に示されている。したがって、固液分離防止剤として用いられる硫酸カルシウム2水塩の添加量の下限値が3重量%であることが記載されていない本件特許請求の範囲の記載は、特許法36条4項に違反するものである。

<2> 本件明細書及び原明細書を精査しても、増粘剤を添加することによって硫酸カルシウム2水塩の量を3重量%未満とし得ることは示唆すらされていない。すなわち、固液分離防止剤としての硫酸カルシウム2水塩の添加量を増粘剤の添加の有無と関連付ける記載は、本件明細書及び原明細書には全く存在しておらず、本件発明では、増粘剤の添加により硫酸カルシウム2水塩の添加量が1重量%であっても優れた特性を有する蓄熱材が得られることは何ら認識されていない。

<3> 審決は、被告提出の蓄熱材製造実験結果報告書(甲第4号証)を根拠にして、増粘剤が存在すれば硫酸カルシウム2水塩の添加量が3重量%未満であっても所期の効果を達成することができる旨認定するが、特許法36条4項にいう「発明の構成に欠くことのできない事項」か否かは、出願時の技術水準を考慮して発明の詳細な説明に記載された事項から客観的に判断すべきものであり、出願後10年以上も経過し、しかも原告の蓄熱材の製造方法を知った上での後知恵に基づいて作成された甲第4号証を根拠にして、上記ように認定することは、違法である。

(2)  取消事由2(要旨変更についての判断を誤ったことによる進歩性の判断を誤り)

審決は、理由(1)について、「原明細書の実施例1ないし4には、無水硫酸ナトリウム、水、過冷却防止剤(ホウ砂)、硫酸カルシウム2水塩(及びその他の添加剤)の混合物を、一まとめにして(すなわち一括して)攪拌し(攪拌している以上、一括混合攪拌されていることは明らかである)粘稠な組成物を得た旨記載されている。」と認定し、「本件発明において、各成分を「一括混合して」攪拌するという事項を特許請求の範囲に挿入した本件補正は、原明細書の要旨を変更するものであるという請求人の主張は採用できない」と判断するが、誤りである。

<1> 原明細書には、各成分を「一括して混合し攪拌する」という文言は何ら記載されていない。したがって、本件特許請求の範囲において、各成分を「一括混合し攪拌する」と規定する本件補正は、原明細書に表された発明の本質に変化を生ぜしめ、発明としての同一性を失わしめているのであり、原明細書の要旨を変更するものである。

すなわち、本件特許請求の範囲にいう「一括混合し攪拌する」という文言は、各成分を一まとめに混合した後に攪拌を開始することを意味すると解釈しなければならないところ、実施例1ないし4の表現を検討しても、各成分を一まとめに混合した後攪拌することは明記されていない。また、原明細書には、「Na2SO4-H2O系に硫酸カルシウム2水塩を添加後スラリーの粘度が上昇するまで攪拌・混合を継続する必要がある。」と記載されているが、この表現は、まずNa2SO4とH2Oなどとを混合してNa2SO4-H2O系を調製し、得られたNa2SO4-H2O系に硫酸カルシウム2水塩を添加することを意味しており、この表現を、Na2SO4とH2Oと硫酸カルシウム2水塩とを一まとめに混合した後、攪拌を開始すると解釈することはできない。

<2> また、原明細書には、硫酸カルシウム2水塩の量が3~15重量%であるという要件が規定されている。

したがって、硫酸カルシウム2水塩の添加量の限定をしていない本件補正は、原明細書に表された発明の本質に変化を生ぜしめ、発明としての同一性を失わしめているのであり、原明細書の要旨を変更するものである。

(3)  取消事由3(特許法36条3項違反の点についての判断を誤り)

審決は、理由(3)について、本件発明の構成要素である各成分を「一括混合し攪拌することにより粘稠な組成物を得る工程」が本件明細書に記載されていると判断するが、誤りである。

上記(2)で述べたとおり、本件明細書には、各成分を「一括混合し攪拌する」ことが記載されていないから、この点の審決の判断は誤りである。

第3  請求の原因に対する認否及び反論

1  請求の原因1ないし3は認める。同4は争う。審決の認定及び判断は正当であって、原告主張の誤りはない。

2  反論

(1)  取消事由1について

<1> 本件発明の課題は、固液分離防止剤として安価かつ容易に入手可能な材料を使用して無水塩の沈降を安定に防止し、蓄放熱のサイクルを長時間繰り返したときにも長期安定性が満たされる蓄熱材の製造を可能とする蓄熱材の製造方法を提供しようとするものであり、この課題を解決するために、過冷却防止剤、無水硫酸ナトリウム、水及び硫酸カルシウム2水塩を原料として蓄熱材を製造するに当たり、固液分離防止効果を発現する「複塩の結晶のマトリックス」を形成せしめるべき操作手段を採ることを必要不可欠な要件とするのであって、この要件は、「一括混合し攪拌することにより粘稠な組成物を得る」点に集約される。上記固液分離防止効果を有する「複塩の結晶のマトリックス」を形成せしめるため、必要量の硫酸カルシウム2水塩を当然添加するのであるが、その条件は、「一括混合し攪拌することにより粘稠な組成物を得る」との要件を満足する限り、特段制限されないのであり、特にこれを3~15重量%としなければならないとする理由はない。硫酸カルシウム2水塩の量的条件は、過冷却防止剤、無水硫酸ナトリウム、水、増粘剤等その反応系に存在せしめる各種物質の種類や量、混合・攪拌時の温度や攪拌の強度等の操作条件など種々の要因によっても異なったものとなるのであり、この点の必要な条件は、本件明細書の記載に基づいて当業者が適宜実験的に容易に定め得るのである。

<2> 本件明細書の発明の詳細な説明の項には、「未反応の硫酸カルシウムの沈降を防止するために増粘剤を添加することは望ましいことである。特に望ましい増粘剤としてはシリカ系の増粘剤をあげることができ、これには無定形シリカ微粉末を添加するか、又はケイ酸ナトリウムと硫酸とを混合することによって系内で重合ケイ酸を生成させるかの方法がある。いずれもNa2SO4-H2O系の粘度を上昇させ、未反応の硫酸カルシウムの沈降を防止する効果があり、更にそれ自身も固液分離防止剤としての効果があるので安定性が一層向上される。」(甲第7号証2頁右下欄12行ないし3頁左上欄2行)、「固液分離防止剤として使用される硫酸カルシウム2水塩としては、合成石膏、副生石膏などが使用される。添加量は蓄熱材組成物中3~15重量%好ましくは4~7重量%で、この範囲以下の添加量では少量すぎてマトリックスの形成が不十分であり、分離防止効果が低く好ましくない。この範囲以上ではマトリックスの形成の点では問題ないが、Na2SO4の濃度が減少するため蓄熱量が低下するので好ましくない。」(同3頁左上欄15行ないし右上欄4行)と記載されている。

これらの記載によれば、3~15重量%との記載は、本件発明を実施する上での好ましい態様、好ましい条件についての説明であり、何ら限界値を示すものではないし、増粘剤を添加した場合に硫酸カルシウム2水塩は3重量%より少なくても粘稠な組成物を得ることができることは容易に理解できることである。

比較例1は、増粘剤を使用しない場合の製造実験例であるが、この場合には、実施例1ないし4と比較して好ましい固液分離防止の効果を生ぜしめるだけのマトリックスの生成ができなかったことを示しているのであり、硫酸カルシウム2水塩の量が1重量%であると本件発明の目的が達成できないことを示すものではない。

<3> 原告は、甲第4号証が本件特許出願後に作成された点を問題とするが、発明の完成の有無、第三者によるその実施の可能性の有無についての判断に当たっては、出願後に判明した事実であってもそれを資料とすることを妨げるものではない。

(2)  取消事由2について

特許法41条は、「出願公告すべき旨の決定の謄本の送達前に、願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内において特許請求の範囲を増加し減少し又は変更する補正は、明細書の要旨を変更しないものとみなす。」と規定しているところ、審決は、上記審決の理由の要点(2)のとおり、原明細書の発明の詳細な説明の記載に基づき、本件補正は原明細書の要旨を変更するものではないと判断しているものであって、その認定、判断に誤りはない。

<2> 原明細書の発明の詳細な説明には、Na2SO4-H2O系の混合物に硫酸カルシウム2水塩を添加して混合すると、生成する微細な針状晶である複塩の結晶がからみあって系全体に充満し、マトリックスを形成し、このように形成されたマトリックスが固液分離防止の効果を有するとの説明(甲第7号証2頁左下欄15行ないし右上欄2行)に引き続いて、「水中における硫酸カルシウム2水塩の複塩生成反応は、硫酸カルシウムの溶解→反応→複塩の析出という過程を経るために反応完結までに時間を要する。従ってNa2SO4-H2O系に硫酸カルシウム2水塩を添加後、ある程度の複塩が析出し、これによってスラリーの粘度が上昇するまで攪拌・混合を継続する必要がある」(同2頁右下欄2行ないし9行)と記載されており、さらに、実施例1ないし4には、無水硫酸ナトリウム、水、過冷却防止剤(ホウ砂)、硫酸カルシウム2水塩及びその他の添加剤の混合物を、所定温度で攪拌し粘稠な組成物を得た旨記載されている(同3頁右下欄ないし4頁右上欄)。

この実施例における無水硫酸ナトリウム、水、ホウ砂、硫酸カルシウム2水塩という各成分を一まとめにされた混合物を攪拌して粘稠な組成物を得たということは、本件発明の構成要件にいう各成分を「一括混合し攪拌することにより粘稠な組成物を得る工程」を意味することにほかならない。したがって、原明細書には、「一括混合し攪拌する」との構成要件が明確に記載されている。

<3> また、この要件は、本件発明の構成要件にいう各成分が反応器中に添加された後の攪拌・混合操作について規定しているのであり、各成分の添加順序や混合方法とは無関係である。

(3)  取消事由3について

原明細書から一貫して本件明細書に記載されている実施例1ないし4に「一括混合し攪拌する」点が記載されているとの審決の認定に誤りはなく、審決の理由(3)についての判断に誤りはない。

第4  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立は、いずれも当事者間に争いがない。

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本件発1明の要旨)及び同3(審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。

2  そこで、原告主張の取消事由の当否について検討する。

(1)  甲第3及び第7号証によれば、原明細書(甲第7号証)の発明の詳細な説明の項には次の記載があり、本件明細書(甲第3号証)においても、発明の詳細な説明の項に同じ記載内容があることが認められる(審決の理由の要点(2)<2>(a)(原明細書の記載内容の一部)は、当事者間に争いがない。)。

<1>  技術課題

「融解、凝固の相変化による潜熱を有する含水塩化合物を利用して熱エネルギーを貯蔵しようとする考えは古くから知られている。これ迄に報告されている検討結果によると、この方法による蓄熱の実用化においては2つの問題点があることが指摘されている。」(甲第7号証1頁左下欄16行ないし右下欄1行)、

「第2の問題点は相変化の過程で生成する無水塩が沈降することによる固液分離現象が起ることである。例えばNa2SO4・10H2Oは32.4℃で分解し、無水塩が生成するが、この無水塩は液底に沈降する。これを32.4℃以下に冷却すると表面層の無水塩は復水してNa2SO4・10H2Oとなるが、この結晶が表面を覆う為に底部の無水塩は復水が抑制される。従って、無水塩の沈降を防止する必要がある。一般に沈降防止の為には固液分離防止剤が使用されるが、蓄熱材としては長期安定性が満たされなければならない天然ゴム、合成高分子などの有機材料は徐々に加水分解され、又は生物により分解される可能性があり、好ましくない。無機材料では多孔性支持体を使用する方法・・・などが提案されている。しかしながらこれらは特定地域でしか産出しない天然物であるか又は高価なものであって、蓄熱材の本来の目的である省エネルギーという点からの経済性において実用化に問題がある。またその効果の点においても、蓄放熱のサイクルを長期間くり返すことによって粘度が次第に低下し、固液分離現象が発生する傾向があり、未だ十分とは言えない。」(同2頁左上欄8行ないし左下欄1行)

<2>  知見事項

「本発明者らは上記の現状に鑑み、Na2SO4・10H2Oを主材とする長期安定性の優れた蓄熱材について検討を重ねた結果、固液分離防止剤として硫酸カルシウム2水塩を添加することにより安定性が著しく改善されることを見い出し本発明を完成するに至ったものである。」(同2頁左下欄2行ないし7行)

<3>  複塩の生成反応

「本発明について説明すると硫酸カルシウム2水塩は硫酸ナトリウムの水溶液においては次のような複塩が生成することが知られており、例えば関谷道雄著「石膏」(技報堂1965)104頁に記載されている。・・・従って、Na2SO4-H2O系の混合物に硫酸カルシウム2水塩を添加して攪拌すると上記の複塩が生成する。」(同2頁左下欄8行ないし17行)

<4>  複塩の結晶性状

「生成する複塩の結晶は微細な針状晶であるから、これらがからみあって系全体に充満し、マトリックスを形成する。このようにして形成されたマトリックスが固液分離防止の効果を有するのである。」(同2頁左下欄18行ないし右下欄2行)

<5>  結晶の析出の態様

「ところで上記のような水中における硫酸カルシウム2水塩の複塩生成反応は、硫酸カルシウムの溶解→反応→複塩の析出という過程を経るために反応完結までに時間を要する。従ってNa2SO4-H2O系に硫酸カルシウム2水塩を添加後、ある程度の複塩が析出し、これによってスラリーの粘度が上昇するまで攪拌・混合を継続する必要がある。この一部分の析出した結晶によって未反応の硫酸カルシウムの沈降が防止され、従って系内に均一に結晶が析出することになる。」(同2頁右下欄2行ないし12行)

「未反応の硫酸カルシウムの沈降を防止するために増粘剤を添加することは望ましいことである。・・・いずれもNa2SO4-H2O系の粘度を上昇させ、未反応の硫酸カルシウムの沈降を防止する効果があり、更にそれ自身も固液分離防止剤としての効果があるので安定性が一層向上される。」(同2頁右下欄12行ないし3頁左上欄2行)

「なお、先に示した複塩の固体を水や硫酸ナトリウムと水の混合物に溶かしたのではマトリックスが形成されず蓄熱材としては適さない。」(同3頁左上欄3行ないし5行)

<6>  主材

「本発明の主材の硫酸ナトリウムとしては硫酸ナトリウム10水塩又は無水硫酸ナトリウムと水が使用され、H2O/Na2SO4モル比は10~15の範囲とする。」(同3頁左上欄5行ないし9行)

<7>  過冷却防止剤

「過冷却防止剤としてはホウ砂(Na2B4O7・10H2O)が有効に使用され、その添加量は2~15重量%である。」(同3頁左上欄13行ないし15行)

<8>  固液分離防止剤

「固液分離防止剤として使用される硫酸カルシウム2水塩としては、合成石膏、副生石膏などが使用される。添加量は蓄熱材組成物中3~15重量%が好ましくは4~7重量%で、この範囲以下の添加量では少量すぎてマトリックスの形成が不十分であり、分離防止効果が低く好ましくない。この範囲以上ではマトリックスの形成の点では問題ないが、Na2SO4の濃度が減少するため蓄熱量が低下するので好ましくない。」(同3頁左上欄15行ないし右上欄4行)

<9>  増粘剤

「増粘剤として任意に添加される無定形シリカ微粉末としては乾式および湿式により製造される無定形シリカ微粉末が使用され、通常ホワイトカーボンと称されてよく知られている。・・・添加量は0.5~10重量%好ましくは1~7重量%で、この範囲以下の添加量では少量すぎて増粘効果が低いため好ましくなく、またこの範囲以上ではNa2SO4の濃度が減少するため蓄熱量が低下する上、コスト高となるので好ましくない。またケイ酸ナトリウムと硫酸を混合することによって重合ケイ酸を生成させる場合において、ケイ酸ナトリウムとしては水ガラス又はメタケイ酸ナトリウムが使用され、水ガラスの場合は重量で1:1程度に希釈する方が望ましい。・・・ケイ酸ナトリウムと硫酸の添加量は両者の混合によって中性となる混合割合であって、しかもSiO2換算で上記無定形シリカ微粉末と同範囲の添加量である。」(同3頁右上欄4行ないし左下欄9行)

<10>  添加効果

「以上説明してきたように、本発明方法によれば固液分離抑制効果が著しく、安定性が飛躍的に向上するものであり、これによって蓄熱材の実用化に寄与するところ大である。」(同3頁左下欄16行ないし19行)

<11>  実施例

「実施例1

無水硫酸ナトリウム 300.0部

水 483.3部

・・・

硫酸カルシウム2水塩 40.0部

ホウ砂 30.0部

微粉末シリカ・・・ 20.0部

上記混合物を35℃で60分攪拌後粘稠な組成物を得た。このものを1日放置援40℃〓10℃の温度サイクルを48回行なったが浮水の発生もなく又無水硫酸ナトリウムの沈降も見られなかった。」(同3頁右下欄8行ないし末行)

「実施例2

無水硫酸ナトリウム 36.37部

水 46.14部

・・・

硫酸カルシウム2水塩 7.48部

ホウ砂 3.00部

上記混合物を35℃で50分攪拌後粘調な組成物を得た。このものを約30℃で1日放置すると揺変性のない固形物となった。この組成物を40℃〓10℃の温度サイクルを78回行ない硬度、浮水の発生状態および融解熱の変化をみた。結果を第1表に示す。」(同4頁左上欄1行ないし12行)、第1表には、硬度良好、浮水なし、融解熱変化ない旨が記載されている(4頁左下欄)。

「実施例3

無水硫酸ナトリウム 35.56部

水 45.12部

・・・

硫酸カルシウム2水塩 9.00部

ホウ砂 3.00部

上記混合物を35℃で40分攪拌後粘稠な組成物を得た。このものは約30℃で1日放置すると、揺変性のない固形物となった。この組成物を40℃〓10℃の温度サイクルを78回行ない硬度、浮水の発生状態および融解熱の変化をみた。結果を第1表に示す。」(同4頁左上欄13行ないし右上欄4行)、第1表には、硬度良好、浮水なし、融解熱変化ない旨が記載されている(4頁左下欄)。

「実施例4

無水硫酸ナトリウム 39.67部

水 50.33部

硫酸カルシウム2水塩 7.00部

ホウ砂 3.00部

上記混合物を35℃で50分攪拌後粘稠な組成物を得た。このものは約30℃で1日放置すると揺変性のない固形物となった。この組成物を40℃〓10℃の温度サイクルを78回行ない硬度、浮水の発生状態および融解熱の変化をみた。結果は第1表に示す。」(同4頁右上欄5行ないし15行)、第1表には、硬度良好、浮水なし、融解熱変化ない旨が記載されている(4頁左下欄)。

「比較例1

無水硫酸ナトリウム 38.88部

水 49.22部

・・・

硫酸カルシウム2水塩 1.00部

ホウ砂 3.00部

上記混合物を実施例と同様の方法で調合し40〔矢印〕10℃の温度サイクルを78回行なった。結果は実施例と共に第1表に示す。」(同4頁右上欄16行ないし左下欄4行)、第1表には、温度サイクル前後とも硬度不良、浮水はサイクル前5vol%、温度サイクル後20vol%、融解熱の変化ある旨が記載されている(4頁左下欄)。

(2)  取消事由1について

<1>  前記(1)に認定の事実によれば、原明細書及び本件明細書の発明の詳細な説明の項には、主材(硫酸ナトリウム10水塩又は無水硫酸ナトリウムと水)、過冷却防止剤及び固液分離防止剤に任意の成分として増粘剤等からなる蓄熱材の製造方法として、主材の硫酸ナトリウム10水塩又は無水硫酸ナトリウムと水、固液分離防止剤である硫酸カルシウム2水塩、過冷却防止剤等を一括して混合して混合物とし、その後、ある程度の量の微細針状晶の複塩が析出し、この析出結晶により、未反応硫酸カルシウムの沈降を防止しつつ、さらに、上記複塩が混合物全体にわたり均一かつ十分に析出し、マトリックスを形成して固液分離防止の効果を奏するまで、攪拌・混合を継続する蓄熱材の製造方法が実質的に記載されていると認められる。そして、この微細針状晶の複塩の析出によるマトリックスの形成による固液分離防止効果を奏する限りにおいて、本件発明における硫酸カルシウム2水塩の量は、適宜設定され得るものであり、硫酸カルシウム2水塩の量を本件特許請求の範囲に記載する必要はないと解すべきである。

<2>  原告は、本件明細書中の「蓄熱材組成物中3~15重量%好ましくは4~7重量%で、この範囲以下の添加量では少量すぎてマトリックスの形成が不十分であり、分離防止効果が低く好ましくない。」との記載及び比較例1に、硫酸カルシウム2水塩の添加量が1.0重量%である場合には、温度サイクル前に5vol%の浮水が認められ、温度サイクル後には20vol%の浮水が認められるとの記載をその主張の根拠として主張する。しかしながら、前記(1)に認定の<8>固液分離防止剤についての記載によれば、硫酸カルシウム2水塩の添加量についての3~15重量%との記載は、好ましい一態様として記載されており、硫酸カルシウム2水塩の限界量を示すものではないと認められる。かえって、前記(1)に認定の<9>増粘剤についての記載によれば、増粘剤が使用された場合は硫酸カルシウム2水塩の添加量が3重量%未満であっても複塩の析出によるマトリックスの形成が可能であることは、本件明細書に接する当業者にとって自明の事項であると認められる。また、前記(1)<11>に認定の比較例の記載も、増粘剤を使用しない場合についての記載であるから、硫酸カルシウム2水塩の添加量が3重量%未満では増粘剤を使用した場合においても複塩の析出によるマトリックスの形成が可能ではないことを示すものではない。よって、この点の原告の主張は採用できない。

なお、原告は、出願後10年以上も経過し、しかも原告の蓄熱材の製造方法を知った上での後知恵に基づいて作成された甲第4号証を根拠にして硫酸カルシウム2水塩の添加量が3重量%未満であっても所期の効果が達成されると認定することは違法である旨主張するが、増粘剤が使用された場合に3重量%未満であっても複塩の析出によるマトリックスの形成が可能であることが自明であることは、上記に説示のとおりであり、甲第4号証によれば、この実験結果は、原明細書に記載の技術的事項の範囲内で、増粘剤添加の効果を再現し、確認するものであると認められるから、審決がその判断に当たり甲第4号証の実験結果を利用したことに違法はないと認められる。

その余の原告の主張も、上記に説示したところに照らし、採用できない。

<3>  したがって、原告主張の取消事由1は理由がない。

(3)  取消事由2について

<1>  前記(1)に認定の<5>結晶の析出の態様には、Na2SO4-H2O系に硫酸カルシウム2水塩を添加する製造方法が記載されていることが認められる。

しかしながら、前記(1)に認定の<11>実施例によれば、実施例1ないし4においては、主材となる「無水硫酸ナトリウム」と「水」とが、それぞれ別個の成分として扱われ、それぞれの添加量が個別に混合物全体に対する割合で設定されているものであり、さらに、まずNa2SO4-H2O系を作り、それに硫酸カルシウム2水塩を添加する等の方法でなければ、複塩の析出によるマトリックスの形成ができないことをうかがわせる記載もないから、実施例1ないし4には、一まとめに混合した後に攪拌をするものが記載されていると認められる。したがって、「一括混合し攪拌する」という文言を原告主張とおり各成分を一まとめに混合した後に攪拌を開始することを意味すると解釈したとしても、その点は原明細書に記載されており、本件補正は、「一括混合し攪拌する」の点において、明細書の要旨を変更するものではないと認められる。

これに反する原告の主張は、上記に説示したところに照らし、採用できない。

<2>  本件補正が硫酸カルシウム2水塩の添加量の限定をしていない点において明細書の要旨を変更するものではないことは、前記(2)に説示したところから明らかである。

<3>  したがって、原告主張の取消事由2は理由がない。

(4)  取消事由3について

原告は、本件明細書には、各成分を「一括混合し攪拌する」ことが記載されていない旨主張するが、原明細書に各成分を「一括混合し攪拌する」ことが記載されていることは、前記(3)<1>に説示のとおりであり、これと同内容の本件明細書に各成分を「一括混合し攪拌する」ことが記載されていることは明らかであるから、原告主張の取消事由3は理由がない。

3  よって、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 市川正巳)

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